2008年6月15日 年間第11主日 A年

今日の出エジプト記ではモーゼが神に会うために山に登り、神と話す場面が出てきます。 出エジプト記33章11節では、「人が友達に語るように、主はモーゼと顔を合わせて話された。」とあります。

しかしモーゼは例外でした。 その時代、ほとんどの人々は神をおそれ、神にあまり近づかない方が良いと考えていました。 そこで神は、優しくまた人間の弱さをよくわかってくださっているという神の本当の心を伝える為に御子イエスを私達に遣わせたのです。 神は私達人間と暖かい関係を結びたいと望んでおられるのです。

この神の暖かい心はイエスの教え(たとえば放蕩息子を歓迎する寛大な父)だけでなく、イエスご自身の人間性そのものにもよく表れています。 イエスは人々の心にとても敏感でした。 イエスは人々の苦しみを共に感じることができたのです。 今日の福音で、イエスは様々な事で傷つき、弱り果て、打ちひしがれている群衆を見ました。 福音には、'イエスは彼らに対して深く憐れまれた。'とあります。 英語の同情とは文字通り、人々と共に苦しむ、という意味です。 イエスは、この世にいらした時も、そして天に昇られた今も、私達一人一人に対して深い憐みの心を持ってくださっています。今日の福音でイエスは弟子たちを名前で呼んでいたように、私達一人一人を名前で呼んでくださいます。 私達一人一人をよく知っておられ、神にとって私達は単なる大衆のうちの一人ではありません。

今日もイエスは私達のストレス、心の傷、心配事や憂うつ、孤独など私達人間の弱さを見てくださっています。 イエスは私達が裏切り、ひどい言葉や扱いに傷ついていることを知っておられます。 私達と共に苦しんでくださいます。 イエスは本当の人間になられたので、私達と共にこのような苦痛も経験されました。 それゆえ、私達はイエスに安心して近づくことができます。

さあ、祈りの山に登り、イエスに会って心のすべてをイエスにさらけ出しましょう。 イエスは「重荷を負っている者は、私のもとに来なさい。」とおっしゃっています。

そして私達は堅固なものの上に降り立ちましょう。 今週、毎日少なくとも5分は静かな雰囲気の中で神とのふれあいを持ちましょう。 自分自身の言葉で、あるいはもう言葉も無しで、ただ神の憐みを味わってみましょう。