2008年7月13日 年間第15主日(A年) ディン神父

私の父はカトリック、母はプロテスタントで同じではありませんが、ある時父が母をカトリック教会のミサに連れて行きそこで母は数人の神父様を見て感銘を受け、将来、男の子を授かったらこの神父様たちのような人にしてくださいと願ったそうです。私の兄弟は、祖母(父の母)の計らいで皆カトリック信者になっていますが、私はこの祖母に連れられ5,6歳のころから毎日教会に行きミサに与り、小教区の神父様を見て8歳の時、自分もあのようになりたいと思いました。 高校の最後の学年の時そのことをもう一度考えてみました。初聖体の時から堅信の時まで小教区はドミニコ会の同じ神父様がつとめていましたが、とても親切で、貧しい人々や困っている人々を度々訪問し、彼らの悩みを聴いている姿を見て、私も司祭になろうと思ったのです。
私の歩んできた道を振り返ると、母の祈りに始まって、祖母の導き、小教区の神父様の模範、そして神学校に入ってからも恩人の方々、ケンズ神父様、保土ヶ谷教会の皆さんのお祈りと援助、また、神の愛がなければ、司祭叙階の恵みを受けることはできなかったと思います。私の為に多くの方々が祈ったり、援助してくださったことにとても感謝しています。
今日の福音(マタイ13章1-13節)で、イエスは種を蒔く人のたとえを用いて群衆に語っています。種を蒔く人は自由に種を蒔いたので、種は良い土地だけでなく、道端や石だらけで土の少ない所、茨の間にも落ちました。私達はこのたとえで土壌と結果の関係をはっきり見ることができます。