2008年9月28日  年間第26主日  (A年)

私たちはよく次の聖歌(390番)を日本語で歌います。
「キリストのように考え、キリストのように話し、キリストのように行い、キリストのように愛そう。」
この聖歌は今日の第二朗読の内容を要約しています。 最後の晩餐の時にイエスは言いました。「私があなたがたにした通りに、あなたがたもするようにと、手本を示したのである。」(ヨハネ 13:15)  聖ペトロはその手紙の中で「キリストは私たちが彼の足跡をたどれるように手本を残してくださった。」と言っています。(1ペテロ 2:21)
今日を生きる私たちにとって、「キリストのように考え」とはどのような意味でしょうか。 イエスの思考において常に主題にあったことは、最後の瞬間に至るまでイエスが生涯にわたって祈っていた詩篇31節に集約されています。「父よ、私のすべてをあなたの御手にゆだねます。」これは私たちにとっても、神への信頼の祈りです。
「キリストのように話し」 説教を通して、イエスは平和、勇気、励まし、そして許しを与えてきました。イエスはザアカイに語りかけ、人生の意味について話しました。 私たちは言葉を使って、人々の平和の道具になっているでしょうか。 私たちは、心から本当に「ありがとう」と言っているでしょうか。
「キリストのように行い」 イエスがゲッセマネの園で捕えられた時、イエスは無私公正に、思慮深く行動しました。 彼は捕吏に「君たちは私を捕えたのだから、他の弟子たちは自由にしてください。」と言ったのです。 それまで3年にわたりイエスはペトロとともにパレスチナの地を歩いてきました。 ペテロはたびたび非常に衝動的にふるまい、また時として自己中心的でもありました。 そんなペテロをイエスは我慢していますが、信仰の弱いペテロはイエスのことを知っているにもかかわらず3回も否定してしまいます。 しかしイエスはいつもあるがままのペテロを受け入れています。 わたしたちは、他の人々をあるがまま受け入れているでしょうか。
「キリストのように愛そう」 イエスは友人である私たちのために、その命をささげました。 私たちは、その人生の一部でも、他人のためにささげているでしょうか。 他人のために自分の時間を使うでしょうか。 真に、人の言っていることに耳を傾けているでしょうか。 自分の都合が悪くても、他人にあわせることがあるでしょうか。
キリストのように考え、話し、行い、愛するということは、キリストをさらによく知るということです。 そのためにも聖書を読み、それを通し神を友人として祈り、聖 体拝領を通して神と一体化することが大切です。