2008年10月5日  年間第27主日  (A年)

日本には、詩篇139章18節から題をとった聖歌「神のはからいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」(典礼聖歌53番)があります。
今日を生きる私たちの課題として、「神が私たちにしてくださっていることを本当に理解し、その愛を価値あるものと認め、神に感謝しているか」ということがあります。
今日の第一朗読と福音のなかで、ブドウ畑の持ち主のたとえ話がありました。主人はブドウ畑を作りましたがそれは大変な仕事でした。畑を耕し、肥料を施し、石を取り除いて見張りのやぐらを立て、搾り機を作って小作人に貸し与えました。小作人はそれを当り前と考え、まったく感謝しませんでした。それどころか彼らは貸し与えられたものを自分たちのものとして考えるようになり、自分たちだけのためにそれらを使い始めたのです。
創造主である私たちの神は、私たちの心の中に美しいブドウ畑をつくるために相当の努力をなさいました。神は私たちに命、家族、友人をお与えになりました。神は私たちそれぞれに特別な才能をお与えになりました。私たちの人生を通して、神は私たちを守ってくださる一方、大いなる自由もお与えになりました。
神が私たちのためになさったこと、また今もしてくださっていることすべて、私たちは正しく認識し、感謝しているでしょうか。あるいは、私たちは「すっぱい葡萄を実らせている」にすぎないのでしょうか。
ここで、お祈りの方法をひとつご紹介いたします。こころを静め、そして神に助けを求めましょう。一番若い時の記憶から自分に訪れた幸せな出来事を思い起こしてみましょう。それは家族の中であったり、学校での出来事だったり、いろいろでしょう。青春時代や大人になってからの時代、それぞれ経験した素晴らしいことを静かに思い出してみましょう。そしてそれぞれ一つずつについて、神に感謝しましょう。その時々において、それらは些細なできごとでしたが、自分に影響を与えているのです。「普通の」できごとは、宗教的なできごとでもあったのです。この祈りの方法、「回顧の祈り」では良いことのみ思い出すのです。そしてそれを神に感謝するのです。感謝のあと、私たちは神に祝福を求めるのです。(今日の使徒パウロのフィリピの教会への手紙に書かれているようにです。)
まことに、「神のはからいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」のです。