2020年四旬節ミニ黙想への導き

保土ヶ谷教会の皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

毎日、目に見えない敵と戦っている私たちがそれぞれのストレスから解放され、忍耐強くなるにはどうすれば良いでしょうか。

1.毎日、石鹸と水で手を洗い続けることは、自分の命を守るためである。

しかし、それだけでは、自分自身が強くならない。それだけで毎日、神様に心を清めていただくことはできるでしょうか。

―食事する前に手を洗わないイエスの弟子たちが批判されている。(マタイ15章1-20節)

その批判を受けるイエスが、次のように反論する。

「心から出てくる言葉こそが人を汚すのである。手を洗わずに食べることは人を汚さない。」

=衛生的な基準を固く守ることは当然である。しかし、それだけで非常時のスケジュール作りを始め、家族家庭内を関係を見直すことなどに新しいエネルギーが得られるでしょうか。教会での集会やミサが完全にできなくなる間、一人ひとりがどんな工夫をすればよいでしょうか。

=普段の祈りは、心の呼吸だけではない。神の言葉に耳を傾けて、イエスさまの考え方、行動などから学んだり、触れたりする必要がある。また、霊性的な朗読をすることによって、毎日必要としている原動力、エネルギーが得られるに違いない。

2.ローマ総督であるピラトは、イエスの尋問を行った時、みなが指摘するようなウイルスをイエスの中に見つけられないと告白する。(マタイ27章)

それにもかかわらず、イエスを死刑にする。「十字架につけろ」と不本意な命令を出す。:「水を持ってこさせ、群衆の前で手を洗い」、「この人の血について、わたしには責任がない」と自己弁明する。すなわち、イエスの死刑の責任を逃れようと公に宣言する。

―四旬節に、神様に清めていただけるということは幸いなことですが、他人に対する責任を逃れてはいけない。教会で会えなくなった兄弟姉妹と結ばれて行こうと思い改め、兄弟姉妹を大切に思う心を育て続けようではありませんか。

=イエス自身が弟子たちと別れる前に、弟子たちの足を洗ったということは、弟子たちへの尊敬を示したのではないでしょうか。最後までイエスに大切にされた弟子たちが、お互いを大切に思う心を育てて行こうと、イエス・キリストの良い知らせを世界の果てまで述べ伝えていきました。

3.新型ウイルスの呼び方は「コロナ」という。「コロナ」はラテン語では冠という意味がある。

―イエスさまが死刑になった時:「イエスに赤いマントを着せ、いばらの冠を編んで、その頭にかぶせ、また右手に葦の棒を持たせて、彼の前にひざまずき「ユダヤ人の王、万歳」と言って、なぶりものにした。」(マタイ27章29-30節)

=イエスは最後まで、御父の心に従った。イザヤが描く神の僕の姿そのものである。(フィリピ2章6-11節)

イエスが十字架の上で命を捧げられたからこそ、茨の冠から栄光の冠に変えることができた。「友のために命を与えるほど大きな愛はない」(ヨハネ15章13節)

復活祭には、主イエス・キリストの勝利を祝いましょう。

「死は勝利にのまれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のトゲはどこにあるのか。」(第1コリント15章55-58節)

「私たちの主イエス・キリストを通して、私たちに恵を与えてくださる神に感謝します。」