アダム神父様インタビュー(2)

アダム神父様インタビュー(取材・再構成:北川恵)

-今週もお時間いただきありがとうございます。いかがですか?

「このとおり元気だよ。みんなも心を合わせてステイホーム、頑張っているのでしょう。」

-復活節第5主日の福音はヨハネ14-6、「わたしは道であり、真理であり、命である」というものでした。私など未熟者には、何か「いいことがある道」とか「天国へ行ける道」とか俗っぽく考えがちですが、どのようなイメージを持つべきでしょうか。

「フフ、まずそれは『イエスの道』ということです。『金持ちの青年のたとえ話』(マルコ10-17)を思い出してみましょう。」

マルコ10-17:23

イエスが道に出て行かれると、一人の人が走り寄り、前にひざまずいて尋ねた。「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか。」  イエスは言われた。「なぜわたしをよき者と言うのか。神一人のほかによいものはいない。戒めはあなたのしっているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証をたてるな、欺き取るな、父と母とを敬え』」。  すると彼は言った、「先生、それらのことはみな、小さい時から守っております」。  イエスは彼に目をとめ、慈しんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、私に従ってきなさい」。すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。

-「正直なところ財産を全部すててついて来いというのは、ずいぶん厳しい要求ですよね。それが『道』なのですか?」

「いやいや、注意深くみてください。まず青年はすでにお金持ちで、しかも律法を完全に守っている模範的な人なのです。それにもかかわらずイエスの前にひざまずいて、『永遠の命』について教えを乞うほど、満たされておらず悩んでいたのです。そんな青年をイエスは『目をとめ、いつくしんだ』とあるように、愛してほめたのです。」

「そして、その悩みやみたされない思いの根源が、彼の持つ富にあることをすぐに見抜き、それを捨てて真の価値を追求することで救われると教えたまでのことです。」

「イエスは決して命じたりせず、彼が自分自身の選択として、富よりもイエスの道を選択することを期待していました。そして彼が富を選んだ時も、決してなじったりせずに、悲しい思いで立ち去る彼をみおくったのです。」

「このように『イエスの道』とはイエスが私たちがついてこれるようにお造りになった道ですが、その道をたどるかどうかは私達の選択にかかっているものなのです。イエス様は強制もしないしその道に来ないからといって非難もしません。ただ、やさしく招いてくださっているのです。」

-「『やさしいイエス様が招いてくださる』道というのは、何かホッとするイメージですね。そして『永遠の命』を得られるのですか?」

「そう。ただしその道をたどるには、イエス様がおこなったように、私達はそれぞれの十字架を背負って歩まねばなりません。『フィリピ人への手紙』を読んでみましょう。」

フィリピ3-8:11

私は更に進んで、私の主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためにであり、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づく神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見出すようになるためである。 すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまと等しくなり、なんとかして死人のうちからの復活に達したいのである。

「死と復活は一緒にかんがえるべきです。肉体的に生きていても心は死んでしまっている人がいるように、逆に、(イエスの道をたどれば)肉体は死んでも永遠に生きることができるのです。」

-「十字架を担ってキリストの道をたどる...容易ならざるイメージがあります」

「そう、簡単じゃないよ((笑)。ちょっと大仰だけれども創世記から見てみましょうか。ちょっと長くなりますが、いいですか?」

「知っているように、神様は7日でこの世をお造りになって『すべて良しとされた』、つまりすべての生き物にとって調和のとれた環境が整った、ということです。」

「そして創世記2-7にあるように、『主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きたものとなった』のですが、自然のもの、動物に過ぎなかった人間に特別な霊魂が吹き込まれたのです。最近ある神学者がこれを『神の接吻』と表現していましたが、最初から人間は神に非常に愛された存在であったのです。」

「そして最初の人類であるアダムとエヴァが造られるのですが、これは人類は最初からお互いに愛し合い協力し合うべきもの、として造られたことを意味します。」

「しかしアダムとエヴァは蛇の誘惑に負け、『善悪を知る木』の実を食べてしまい、自分たちが裸であることに気づきます。そして裸であることを恥じて神の呼びかけにも出てこれず、そしてエデンの園から追放されるのです。そこから人類の苦難は始まりました。人間同士、そして人間と自然との関係が、調和を欠く状態になったのです。」

「そしてそれをイエスが身をもって『あがなう』ことにより、調和を取り戻す道をお示しになった、それが『イエスの道』です。」

-「確かに欲にまみれた人間世界は、お互いに弱肉強食を繰り返し、自然破壊もとどまり知らないですね。」

「まさに弱肉強食の反対がイエスの道です。ご聖体の意味を考えてください。『これは私のからだ』として万能の神の体を、最も弱い人間が食べてしまう、食べさせてもらえるという意味を。またイエス自身が最後の晩餐の時に、奴隷がやるべき客の脚を洗うという行為を、自らして回ったということも思いだしてください。金持ちの青年がとらわれていたような富への執着を捨て、弱肉強食と反対の考えを持つ、そしてそれによる全ての不利益を自分の十字架として受け止めることができれば、すでに永遠の命を生きていることになります。」

「そしてこの『イエスの道』を歩くときには、必ずイエス様がついている、ということです。最近インターネット上で教会の信者が集まっているようで、うれしく思います。そんな時にもイエス様は必ずそばにいらっしゃることを思い出してください。」