2008年10月12日  年間第28主日  (A年)

ペトロ岐部
今日の聖書朗読のテーマは「宴会」でした。聖書では「宴会」は神の暖かい交わりの象徴です。
今日はイエスと温かい交わりを持った一人の日本人についてお話したいと思います。彼の名前はペトロ岐部、11月24日長崎で列福される188人の日本人のうちの一人です。北京オリンピックのマラソン勝者のケニヤ選手サミュエル・ワジルは、日本で過ごした6年で、「我慢することを学んだ」と言いました。我慢、すなわち禁欲的な自制は日本独特のものです。新約聖書では、「忍耐」(ギリシア語ではヒューポモン)が45回も使われています。この言葉は穏やかな言葉で、しばしば命、喜び、希望といった言葉とともに使われます。これらは神があたえてくれる賜物、それによって私たちが喜んで耐え忍ぶ勇気を与えられるのです。
ペトロ岐部は私たちの励みとなる良い例です。1587年瀬戸内海に面した大分の浦部に生まれ、幼少のころから海と舟に親しんでいました。この年は秀吉が最初のキリシタン弾圧に乗り出した年でもありました。13歳でペトロ岐部は神学校に入りましたが卒業することはありませんでした。27歳の時に、彼は再び司祭になりたいという強い希望を持ち、マカオへ旅立ち、そしてインドのゴアに至りました。彼は受け入れられませんでしたが、迫害にあう故国の兄弟姉妹を助けるために、司祭になりたいという強い希望は変わりませんでした。
ここからは、キリスト信者の忍耐の好例です。ペトロ岐部はゴアから3年の年月をかけ、約5千キロの道を歩いてイエルサレムへ行ったのです。昔も今も危険な場所であるインド、パキスタン、イラク、イラン、ヨルダンの山や砂漠を旅しました。イスラエルで(おそらく、日本人としては初めての巡礼者でしょう)彼はイエスの道のりを歩みました。彼は長い旅の間を通して決して一人ぼっちではありませんでした。イエスの言葉「恐れるな、私はあなたと共にいる」がペトロ岐部にとって大変意味のある言葉だったのです。
彼はイエルサレムからローマへ行き、イエズス会の本部を訪れ、イエズス会士となり神父になりたいと請願したのです。忍耐の人である、円熟したペトロ岐部に、イエズス会幹部も感銘を受けたのでしょう、わずか半年のうちにその両方とも現実のものとなりました。このときペトロ岐部は33歳でした。
その後、彼は船で日本に戻ります。リスボンから喜望峰をまわり、モザンビーク、ゴア、マラッカ、アユタヤ、マカオ、マニラと渡り、その間、三度も難破しています。
マニラで彼は小さな古いボートを買い、もう一人の仲間とともに鹿児島に向けて出発します。「神から送られてくる風を頼りに、私たちは帆を張りました。私は兄弟姉妹の魂の救済のために、帰国します。」と彼は書いています。
帰国後彼は岩手県の水沢で9年布教活動を行いました。そして友人に裏切られ、尋問と拷問のために江戸に送られました。棄教を拒んだため死刑を言い渡され、穴の中で逆さ吊りの刑を受け死にました。かような、堅忍剛毅、忍耐節制は神の賜物としか考えられません。
ペトロ岐部は100%日本人であり、100%キリスト教徒でありました。私たちもイエスに忍耐の賜物を乞いましょう。神は私たちを強めるためにおられるのです。神を信じ私たちの帆を掲げ人生の航海に乗り出しましょう。
イエスは言っておられます。「あなたは裏切られるでしょう...しかしあなたは髪の毛一本も失なわない...忍耐によりあなたは命を得る。」(ルカ21)