2009年12月6日 待降節第2主日  (C年)

バラクの時代、ユダヤ人達は絶望のどん底にいました。彼らの美しい寺院は破壊され、遠くバビロンに虜囚として拉致されたのです。彼らの心は暗闇にさまよっ ていました。バラクはそのような彼らに、神が助けてくださるから希望を持つようにと説いたのです。神は自由を約束してくださいます。詩編126章にあるよ うに彼らは救われたのです。神は彼らの闇を光に変えたのです。

私たちは誰でも心に何らかの闇を持っています。希望と自信を持って、光がやってくるのを待ちましょう。「主は曙の光のように必ず現れる」(ホセア書6:3) イエスは、暗闇の中での私たちの光なのです。

福音の中で、洗者ヨハネは私たちに、光の源、救い主イエス キリストの来臨に備えるように言っています。
しかし私は今日の福音から一行だけ選びたいと思います。「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。」という一節です。聖書の中で荒れ野とは、象徴 的な意味を持った特別な言葉です。祈りの中で神と出会える静かな場所なのです。忙しい現代の都会暮らしの中で、私たちも皆、自分自身のための小さな荒れ 野、静かな時間が必要です。忙しい日々の中に静けさが必要なのです。テレビやパソコン携帯電話やi-podなどで雑音にあふれた忙しい日常がもたらす雑音 のさなかにいる私たちの心は平静を要しているのです。忙しくなればなるほど、私たちは静かな祈りの時を持つ必要があります。祈りの中で神と出会い、日々の 仕事は己の力のみではできないと実感するのです。私たちは神の力に頼みます。神と一緒であることを実感することによって、最も穏やかにストレスを解放する 効果を私たちの全人生にもたらします。人生の道は、よりまっすぐに、より平坦になっていきます。私たちの心に光が灯るのです。

待降節は私たちが基本的なことを考える時です。神は私たちの近くに来てあたたかい光を当ててくださるために人間となられました。
神ご自身がいかに優しく身近なものであるか感じられるように、静かな時を持とうとしているでしょうか。私は私の心を明るくしてくれるよう神に頼むでしょうか。確かな希望を持って、祈りそして待ちましょう。
「主は曙の光のように必ず現れる」(ホセア書6:3) さあ、私たちも「荒れ野」に行きましょう。