2009年12月27日 聖家族  (C年)

私は時々、イエスやマリア、ヨゼフがあまりにも高い壇上に掲げられているように感じます。私たちは彼らを超人扱いしています。神ご自身は私たちと同じ人 間になられたのです。イエスは超人ではありません。そのようにイエスを扱うのは、イエスを私たちから遠ざけることになります。遠くて、近づきがたい存在と なってしまいます。こうなると、私たちの祈りは冷めたものになります。イエスは「疲れた者、重荷を負っている者は皆、私のもとへ来なさい。休ませてあげよ う。」と言っています。イエスは、心配、恐怖、痛み、裏切りなどで疲れるということをご自身で私たちと同じように経験なさったのですから、とても近づきや すい存在なのです。
イエスの義父であるヨゼフと母であるマリアにも同じことが言えます。マリアもヨゼフも、光り輝く無痛の世界に住む存在ではありませんでした。今日の聖書の 一節に、彼らの実際の生活の中での苦しみの一端が表れています。例えば、マリアが特別な子供を産むための部屋すら借りることができなかったヨゼフの情けな さを想像してみてください。マリアは自分の赤ちゃんを、かわいいゆりかごではなく、動物のかいばおけの中に寝かせたのです。そしてその後には外国であるエ ジプトに、脱出しなければなりませんでした。これらの苦しみに耐えるには、神への信頼が必要でした。私たち自身が神の愛や恩寵、神との親しさを感じること ができない時でさえ、神は私たち一人ひとりを非常に注意深く思いやってくださっています。私たち一人ひとりは、私たちの父の子供であり、神は私たちを非常 に愛してくださいます。(1 ヨハネ)
今日の福音では家族の誤解が描かれています!これは誰の家でも起きていることです。マリアは、「なぜこん なことをしてくれたのです?」と問いただします。同じように私たちも苦しみに出会った時、祈りの中で神に向かって「神よ、どうしてこんなことをしてくれた のですか?」と言ってみることは大事であると私は信じています。おそらくその時、あなたは傷ついていたり神に対して怒っていたりすることでしょう。神はあ りのままの私たちを受け入れてくださるのですから、それで構わないのです。大事なことは、私たちが祈りの中で神に出会い、神が希望と平安、そして苦しみの 真っ最中であっても喜びを、私たちに与えてくださるような機会を持つことなのです。是非試してみていただきたいと思います。これはききめがあります。
私たちと同じ人間という存在を経験した神がいるということはすばらしいことです。私たちの神は、極めて理解に富み、近づき易い存在です。マリア様、ヨセフ様、若いイエスを育ててくださって、ありがとうございます。