2010年1月10日 主の洗礼   (C年)

イエスの受洗は私たち自身の洗礼の意味について教えてくれます。
私たちが洗礼を受ける時には水が、(大抵は場合ひたいに)注がれ、「父と子と聖霊のみ名によりあなたに洗礼を授けます」という言葉が唱えられます。この言葉はイエスご自身が言われた言葉です(マタイ28:19)。
教会儀式として行われる洗礼式を見てみましょう。(ちなみに、緊急の際には誰でも、洗礼を望む者に対して洗礼を授けることができます。)
最初に受洗者の名前が呼ばれます。「太郎さん(花子さん)、私はあなたに洗礼を授けます...。」
これは聖書の一節を思い出させます。神は「イザヤ、私はあなたを名前で呼びます。」と言い、イエスは「私はそれぞれの羊の名前を呼んで連れ出す。」(ヨハネによる福音書)
洗礼では水が使われます。水は清めと命の象徴です。人や植物にとって水は命の源です。私たちは神ご自身の命をいただくのです。
洗礼によって私たちは、父と子と聖霊の命と愛に入って行くのです。 私たちは神の愛の中に入っていくのです。15世紀のイコン画家アドレイ・ルブラーは三 位一体を3人の天使として描きました。そのイコン画は祈りに使われました。その絵を見ていると、描かれている絵の雰囲気、神の愛、に引き込まれていきま す。私たちはその、あるがままの私たちを受け入れてくださる神の愛に入っていくのです。
神父は受洗者に聖別された香油を塗油します。油は力と健康の象徴です。神は私たちに力と心の健康を与えてくださるのです。
過ぎ越しの大蝋燭から火が分けられ、受洗者の蝋燭に火がともされます。この時神父は受洗者に「光の子として歩みなさい」と言います。まさしく、暗闇の世の中と人生にある私たちに対して、神は光を与えてくださるのです。
洗礼において神は公に誓いを立てられています。神は、受洗者一人ひとりに次の厳粛な誓いを立てられます。
「恐れるな、私はあなたと共に居る。私はあなたを守る。」
私たちも誓いを立てます。(契約は常に双方向なのです。)
私たちは「私の神よ、私はあなたを心から信頼し、私自身をあなたの御手に委ねます」と言います。
洗礼において、憐れみと優しさの神は私たち一人一人に生きている声で、「あなたは私のいとしい子供です。私はあなたを愛しています」と言うのです。
何という慰め、何という勇気づけ、でしょうか!