2010年1月31日 年間第4主日   (C年)

 神はわずか19歳のエレミアに、預言者になるように命じました。時は政治的動乱が続き、戦争の兆しが見られる危険な時期でした。エレミアは故郷を出て首都エルサレムへ行き、王に悔い改めさせよと命じられたのです。けれどもエレミア自身、自信は全くありませんでした。弱冠19歳、傷つきやすくもろい性格だったのです!この任務に彼の性格は適任ではありませんでした。しかし神はこう言ったのです。「エレミア、恐れるな。私はあなたと共にいるのだから!」この神の助けを得て、エレミアは人生における彼の仕事を達成することができました。
 今日、イエスは私たち一人ひとりに、「私はあなたと共にいる」(マタイ28:20)と言います。この深い意味を理解するために、祈りの心をもってよく考えてみましょう。
 この「私」とは私たちの神様のことですが、この神は私たちと同様に100%人間になられました。(同時に依然として100%神でもあります。)釣り合いをとって考えてみてください。神性により人間性を否定したり、またその逆をしないでください。イエスは本当に、私やあなたと同じように感じました。彼は本当に、真の人間だったのです。
 今日の福音の情景を見てみましょう。イエスは故郷を離れていましたが(荒れ野、ヨルダン川での受洗、カナの奇跡、山上の垂訓を経て)、故郷に帰ってきました。そこでユダヤ教寺院で聖書を読み説教をするように頼まれました。初めのうち人々は皆、イエスの言葉に打たれました。しかし次第に、彼はわが村の大工に過ぎないではないか!と思い直してきました。そしてイエスが、神の愛と憐れみは全世界の諸国民のため等しくある、と言ったので人々は憤激したのです。彼らはイエスを町から追い出し、崖から突き落として殺そうとすらしたのです。
 この時イエスがどんな気持ちであったか想像してみてください。あなたは、人から拒絶されたり軽んじられたりしたことがありますか?もしそうであれば、その時イエスはあなたとあなたの苦痛を共にしています。こののち、イエスは誤解をうけ、孤独、友人ペトロやユダの裏切りを経験します。さらには友人の死、いじめ、屈辱、空しさ、そして恐ろしい肉体的な苦しみを経験したのです。もしイエスがこれらすべてを経験していなければ、イエスは「私はあなたとともにいる」などとは言えなかったでしょう。
 私たちの神は人間であることを経験したからこそ、私たちがどのように感じるのかをご存知です。イエスは私たちの弱さに同情し、無原罪にもかかわらず、あらゆる点において、私たち同様に試練に遭われたのです。ですから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。(ヘブライ人への手紙4:15)