2010年2月14日 年間第6主日   (C年)

今日の聖書朗読の中で、エレミアとイエスは共に私たちの毎日の生き方について紹介してくれています。それは神への信頼と依頼です。  エレミア書の第一朗読と詩編1で、砂漠の中で育つ二本の木のたとえ話が読まれました。一本の木は外見は健全ですが、根はごく浅いものでした。日照りになると木にとっての活力源である水を得ることができず乾燥して枯れてしまいます。もう一本の木は地中深く根を張り、水源まで届いています。その葉は青々として干ばつの年にも憂いがなく実を結ぶことをやめません。その木は深いところからの水によって命を得ているのです。  根が浅い、木のような人にとって最も大事なのは品物や財産です。そのような人にとって心の優先順位は世渡りを上手にやっていくこと、快適でいること、学校で良い成績をとること、人気を得ること、良いグループに入ること、などなどです。このような人は根っこが浅く、品物では心を満足させることはできません。つまづいた時、苦しい時には、心は空虚で活力はありません。  聖書は、(エレミアでも、そして今日イエスも)活力と平和をもたらす違う生き方を示しています。他の人と同じ仕事をしていますが、日々の仕事をしながらも神を深く信頼しています。人間の弱さを認識し、神の助けと力を求めて、神を信頼しています。神ご自身から命を得る深い根っこを持っている人です。    謙虚に人間としての弱さを認め神に頼るということは、聖書学的には「貧しくなる」ということです。多くのお金持ちは、自立できて、神など必要ないと思っています。品物への執着は、精神的な感覚を鈍らせます。心が必要とするものは無視されていくのです。一方、貧しい人々は現世的なものはほとんど持っていないかわりに、「私たちには、力になってくれる神がいる。」と言うことができるのです。聖書学的な意味で、貧乏になることを学ぼうではありませんか。それこそが、幸せで心安らかになれる唯一の道なのです。「神を信頼するものは幸いである。」(エレミア)すなわち、「心の貧しいものは幸いである。」(イエス)