2005年度(A年)

2004年12月12日~2005年11月20日まで

王であるキリスト(A年)2005年11月20日(日)(グンテル助祭講話)

私の兄弟であるこの最も
小さいものの一人にしたのは、
わたしにしてくれた
ことなのである

年間第33日(A年)2005年11月13日(土)

神様からいただいた
恵みを
他人と分かち合いましょう

年間第32日(A年)2005年11月6日(土)

父なる神よ
子供たちとその両親の上に
豊かな祝福を
お与え下さい

今日の福音(マタイ25・1−13)の10人の乙女のたとえ話は、ちょっと厳しくて固いと思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。5人の賢い乙女と5人の愚かな乙女。賢い乙女たちは、灯油を用意していたので花婿が夜遅れて到着しても問題なく婚宴の席につけましたが、灯油の用意を怠った乙女たちは油ぎれとなり、油も分けてもらえず結局婚姻の席につくことはできませんでした。賢い乙女たちはちょっと厳しいなと思う人もいるでしょう。いつもお話しているように、たとえ話は私たちにものごとを考えさせることが目的です。ここに込められている神様のメッセージについて、少し考えてみましょう。

年間第28主日(A年)2005年10月9日(日)

イエスの食卓に
招かれた者は
幸いである

今日の福音(マタイ22・11−14)には二つのたとえ話がありました。ひとつは、ある王様が王子のために婚宴を催したのですが正式な招待を出した招待客が忙しいなどと言って来なかったので、新たに往来に居る一般の人々を呼び入れて宴席を満たしたという話でした。もうひとつは婚礼の席で礼服を着ていない参列者を王が側近に命じて宴席から追い出した話です。

先週は二人の赤ちゃんの洗礼式がありました。洗礼を赤ちゃんに授けながら、わたくしは70年前に自分自身が授かった洗礼、そして初聖体、堅信、叙階と続く、私が神様からいただいた恵みについて考えていました。これらの恵みは神様からいただいた、信仰への招待状でした。そしてその後、わたくしの人生の危機ともいえる病気の時や、あるいは毎年の黙想会の折にも、私はこの招待状をいただいています。

年間第26主日(A年)2005年9月25日

主よ、悔い改める心を
わたしたちにお与えください

(グンテル助祭)
みなさん、今日の福音(マタイ21・28−32)のメッセージはわかりやすいものではなかったでしょうか。

イエスの時代、ユダヤ教の律法は人々の暮らしの細部まで規定しており、その具体的な解釈を決める祭司長の立場は非常に高いものでした。このような祭司長や律法学者達にとっては、神の「憐れみ」「慈しみ」を伝えるよりも、いかに律法を厳格に守らせるかが重要であったのです。

年間第25日(A年)2005年9月18日(日)

「慈しみ」

今日の第一朗読(イザヤ55・6−9)は、これが書かれたのが2,600年前とは思えないほど現代の人間の心にピッタリくる内容です。紀元前587年、バビロンの軍勢はユダヤ軍を打ち負かし、エルサレムに入城しました。そしてユダヤの神殿は徹底的に破壊され、すべてのユダヤ人は捕らえられ、奴隷として遠くバビロニアに「拉致」されてしまいました。有名な「バビロン捕囚」の故事です。奴隷となったユダヤ人達は絶望のどん底のなかで、「これは神からの罰だ。我々が神を捨てた罰として、神も我々を見捨てたのだ」と思いました。この時、預言者イザヤは、「いや、絶対にそうではない。神の考え方は人間とは違う。神の慈(いつく)しみは永遠である。」と人々に宣言しました。

さて皆さん、自分の生活を考えてみましょう。私達は時として、大きな苦しみ・悲しみに直面し、そのどん底のなかで這い回ることがあります。そのような時こそ、私達は神の慈しみを感じることができ、その慈しみを希望としてその苦しい時期を乗り越えた時には、神の慈しみは実に永遠であると思うでしょう。

年間第24主日(A年)2005年9月11日(日)

「主よ、
あなたのみ手に
わたしのすべてを
委ねます」

今日の第二朗読(イザヤの書、4・3:1〜5)では、「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」という有名な一節があり、神様の私たちへの約束の言葉として頻繁に引用されています。この「神は私たちと共にいる」(ラテン語で「インマヌエル」と言います)、はキリスト教の中心教義の一つとなっています。

皆さんご存知のようにカトリックには七つの秘蹟があります。洗礼、堅信、告解、聖体、結婚、叙階、塗油の七つの秘蹟は、私たちの人生の節目節目に、飛び石のように顕れるのです。

敬老の日は19日ですが、私たちは一週間早く今日敬老のミサにあずかります。この敬老ミサでは私たちは塗油の秘蹟にあずかることができるのです。これはかつて「終油の秘蹟」と言われていましたが、今は「塗油の秘蹟」として心や体の痛みに直面する病者や高齢の方に与えられています。今日は60歳以上の方や、希望する方に塗油を行います。

年間第23日(A年)2005年9月4日(日)

「和解はイエス様の道です」

(グンテル助祭説教)

本日の福音(マタイ18:15-20)では、イエスは「兄弟があなたに対して罪を犯した」場合について語っています。この中でイエスは、もし人が罪をおかしたとしても、私たちはそれを「裁く」べきではなく、むしろその人をできるだけ私たちの共同体の中へ引き戻す努力をすることがまず大切である、と言っています。

年間第20日(A年)2005年8月14日(日)

「神の母聖マリア
今も死を迎える時も
わたしたちのために
祈ってください」

(ケンズ神父訪欧中のため、熊木建郎神父(横浜教区、南山大学教授)がミサを司式されました。)

本日の福音(ルカ1、39−56)で「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。」と言っています。乙女マリアが処女のままイエスを身籠り、そのうえで神への信頼・感謝・謙遜を明らかにした、有名な「マグニフィカート」と呼ばれる部分です。ラテン語でマグニ(拡大する)フィカート(形成する)、日本語では「大と為す」と言いましょうか、このマリアが神への崇敬を宣明する場面は、新約聖書の中でも最も文学的に美しいものの一つです。

福音というものは「神が人間に対してしてくださることを、いつの時代にでも信じなさい」という喜びのメッセージであり、新聞の報道記事のような文章ではありません。従って文脈・本質的な意味が重要であり、細部について拘泥する必要は必ずしもありません。

年間第16主日(A年)2005年7月17日(日)

「神様は私たちの
長所も短所も知っておられ、
ありのままに受け入れてくださる」

今日は毒麦のたとえ話についてお話したいと思います。

まず皆さん、「いつくしみ」という言葉を知っていますか。イエスはその教えの中で何度も使っており、この言葉の深い意味を知るのは非常に大切です。「いつくしみ」は神様の私たち自身への愛の特徴です。この神の人間に対する態度は、今日の答唱詩篇(詩篇86・5+6、15+16)において、とても美しい言葉で語られています。

神よ、あなたは恵み深く、心の広いかた。
あなたに助けを求める人にいつくしみを注がれる。
神よ、わたしの祈りを聞き、願いの声に耳を傾けてください。

神よ、あなたはあわれみに満ち、恵み深いかた。
怒るにおそく、いつくしみとまことにあふれておられる。
あなたのしもべに力を授け、あなたに仕える者を救ってください。

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