2008年度(A年)

2007年12月2日~2008年11月23日まで

November 23, 2008 Christ the king (Year A)

Scripture: Ezekiel 34:11-17
Psalm 23
Matthew 25:31-46

2008年11月23日 王であるキリスト(A年)

今日の福音でイエスは重要な教えを示しています。 私達の死後、神は私達の一生を精査する、とイエスは言っています。 彼は次のような質問をしています。「私がこの世で飢えていた時に、あなたは私に食物をくれましたか? 私が渇いていたときに、水を恵んでくれましたか? 旅先で歓迎してくれましたか? 私が病み、投獄されていた時に、会いに来てくれましたか?」 このようにイエスに尋ねられたら、「いったいいつ私がイエス様にお会いしたでしょうか?」と私達は言うでしょう。 イエスの答えはこうです。「あなたがこのような苦しんでいる人々に親切にするのは、それはすなわち私にしているのです。」 これは何と難しい挑戦でしょう!
この日本で誰が飢えているでしょう? ホームレスを別とすれば、大きな飢えはむしろ心の中にあると言えます。イエスはこのように言うでしょう。「あなたは暖かい笑顔を人々に与えましたか?『よく頑張ったね』とか『ありがとう』とか、心の寂しさを満たす言葉を人に与えていますか?」
日本では、水は豊富にありますが、極めて多くの心が乾いています。 寂しく悲しい思いの人々です。 そのような人々に渇きをいやす水―温かい心、明るい挨拶、励ましの訪問や電話―をあげましたか?

November 16,2008 33rd Sunday Year A

Scripture: Mark 10:13-16
Today at the Church we celebrate the beautiful Japanese custom of children aged 7,5,and 3 receiving a blessing. Please read the scene in Mark's Gospel (10:13-16) of Jesus blessing the children.
This week is called 'Bible Week'. The Bible is God's message to each of us.  So when we open our Bible, let us ask ourselves: 'What is Jesus/God saying to me in this passage?'

2008年11月16日 第33主日(A年) 七五三のお祝い

今日、私達の教会では日本の美しい伝統である七五三のお祝いをします。 マルコによる福音書(10:13-16)にはイエスが子供たちを祝福している場面が描かれています。
今週は聖書週間です。 聖書は神様から私達ひとりひとりへのメッセージです。 聖書を開いたら「イエス/神はここで私に何を語りかけているのだろうか?」と考えながら
読んでみましょう。 
先のマルコによる福音書にもどります。 イエスは一日中説教をしていました。 とりわけイエスに反対する人たちの質問にも答えていました。 彼らはイエスを罠にかけようとしていいたので、イエスは教えが終わるころにはすっかり疲れきっていました。 そんな時、幼い子供達をイエスに祝福して欲しいと母親達がやってきたのです。 12人の弟子達は、「先生は今お疲れです。明日来てください。」と追い払おうとしました。 しかしイエスはかれらを押しとどめ、母親を迎え入れ、こどもたちに祝福を授けました。

November 2, 2008 All Souls Year A

Scripture: Lamentations 3:17-26
2 Cor.4:14-5:1
John 6:37-40
Today is All Souls' Day.  It is a special day in the Catholic Church when we pray for our dead. In Scripture (2 Macchabees 12:45) we read: "it is a holy and wholesome thought to pray for the dead".  In the ancient second Eucharistic Prayer we pray: "bring all the departed into the light of your presence! We pray:"Rest in Peace" (R.I.P.)

2008年11月2日  死者の日  (A年)

今日は死者の日、カトリック教会では死者に対して祈りを捧げる特別な日です。 旧約聖書(2マカバイ,12:45)には、「死者のために祈ることは神聖かつ健やかな考え」とあります。 古代から続く第二奉献文では、「すべての死者に心をとめ、あなたの光の中に受け入れてください」と祈ります! 私達は、「安らかに眠り給え」と祈るのです。
1985年に日本の司教様達が書かれたパンフレットでは、キリスト教徒ではない私達の親族・友人のためにも祈りましょう、と呼びかけています。 十戒のうちの第四戒律には父母への孝心というものがあります。 この孝心は両親の死後も祈りによって続いていくものなのです。 死者への祈りは隣人愛の一部なのです。
この死者への祈りの中で、カギとなる言葉は神の慈しみです。 この世に生きて残っている私達が、死者のために祈る時、神の慈しみの深い意味に気づくことができます。 私達が愛した者たちへ、父である神が慈しみを注いでくれるよう祈るのです。

October 26, 2008 30th Sunday Year A

Scripture: Exodus 22:20-26
Psalm 18
Matthew 22:34-40
Let us ask ourselves this question: Do I love God with all my heart, soul and mind? Or only 80%? 50%? 10%? Or do I forget him altogether - especially during weekdays!? Then Jesus says:"Love your fellow human being (neighbour) as yourself."
Now ask ourselves this question: Do I love myself?
If I do not love myself (in the balanced sense that Jesus uses these words), I cannot love others or God. If my heart is diseased with self hate,

2008年10月26日  年間第30主日  (A年)

自分自身にこのような質問をしてみましょう。 「自分の心、魂、感情のすべてで、神を愛しているか? それとも、80%だけ?いや50%?10%? あるいは、特に 平日などには、神のことなどまったく忘れてしまっていないだろうか?」  イエスは、「あなたの隣人を自分のように愛しなさい。」とおっしゃっています。
さて、「私は自分自身のことを愛しているだろうか?」と自問してみましょう。
もし私が自分自身のことを愛していないならば(イエスの先の言葉と釣り合う意味で)、私は隣人や神を愛せないということになります。もし自分の心が自己嫌悪や他人との比較、憤怒や不寛容で落ち着いていなかったり、沈んでいたら、隣人や神を愛することなどできません。
いばらの道を歩む自分を愛するには、神はありのままの自分を愛してくださる、ということをキチンとわかることがとても重要です。
神はありのままの私を愛してくださいます。その愛は無条件です。神は、私のたくさんの欠点にもかからわず愛してくださるのではなくたくさんの欠点があるからこそ愛してくださるのです。 だからこそ、神はその子イエスを我々に遣わしてくださったのです。
私が見聞きした、最も美しく、健康的かつ霊的な運動に次のようなものがあります。

October 19, 2008 29th Sunday Year A

Scripture: Isaiah 45:1-6
Thess 1:1-5
Matt.22:15-21

2008年10月19日  年間第29主日  (A年)

聖書にはユダヤの人々が徐々に真の神を知るようになっていったことが描かれています。 どの国にもそれぞれ自分達の神がいる、というのが3千年前の考え方でした。 エジプトで奴隷とされていた時には、エジプトのラー神が彼らの神より強く見えました! 奴隷から開放されると、神とは、自分達を解放してくれた神であると思いました。 荒れ野において、神は彼らを助けてくれたのです。 しかし、カナンの地に入るとバアル神、そしてバビロンにおいてはマードック神を崇拝したくなりました。 しかし彼らの神についてのイメージはだんだんハッキリしてきたのです。 今日の第一朗読は旧約聖書の中でも少し変わっています。 真の神がバビロンの異教の王シラスを平和と解放の使徒として用いたのです。 言い換えれば、唯一の、至高の神が存在していたということです。
そして最終的に、私達に神とは何かハッキリ示すために、神はイエスという人間になりました。 神は、「おとうちゃん」、父であり、私達は皆その愛する子供たちなのです。 神は私達ひとりひとりを、それぞれの名前で呼んでくださるのです。 私達がイエスの優しい、親切な心を見るとき、同時に私達は真の神の優しく親切な心をみるのです。

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